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【旅の景】若戸渡船に乗ってみた 北九州市 戸畑~若松

アシヲヂ / ashiwodi

洞海湾横断の生活航路 戸畑駅から若松駅へ 2024年9月見学福岡県

【旅の景】2024年9月見学
今回は戸畑駅から若松駅まで、若戸渡船を使って移動してみました。
北九州市戸畑区と若松区は洞海湾を挟んですぐの位置にあります。そして鹿児島本線戸畑駅と筑豊本線若松駅の間を、若戸渡船を使ってショートカットすることができるので、その様子をご紹介します。
【若戸渡船について】
若戸渡船は北九州市が運営する、戸畑~若松間の航路です。北九州市の戸畑と若松の間には洞海湾が横たわっており、渡船航路の位置から湾奥まで約7.5㎞あります。そのため戸畑~若松間を陸路で結んだ場合約20kmの行程となるため、戸畑若松間をショートカットする約0.4㎞のこの航路は、非常に有効なルートとなっており、市民の普段使いの動線として重要な役割を担っています。
若戸渡船は、小倉と福岡~唐津を結ぶ唐津街道の途上にあり、近代以前より渡船があったようです。江戸時代末期は若松の大地主による個人経営で「大渡(おおわたり)川渡船」と呼ばれ、船舶は小型の伝馬船でした。1911年より蒸気船3隻を導入、輸送力の近代化が図られ、1919年には若松市と戸畑町の共同経営となり「若戸共同渡船」に変わりました。以後、1963年の北九州市誕生後も市に引き継がれ今日にまで運営されています。
1930年に死者73名を出した渡船転覆事故発生を契機に、両岸を道路トンネルにより連絡するという構想が持ち上がりますが、第二次世界大戦突入により計画は頓挫。戦後になって架橋による計画が再浮上し1962年に若戸大橋が開通。若戸大橋にはエレベーターと歩道が整備され渡船も廃止の方向でした。しかし若戸大橋は自動車交通を主眼に置かれた構造物であるため、歩行者は高低差の大きな上下移動を余儀なくされることから、気軽に使える渡船の存続要望は非常に強く、結果的に廃止は免れ現在に至ります。