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【松本零士先生 追悼】銀河鉄道999の原風景は愛媛県大洲市だった!! メーテルのモデルはシーボルトの孫娘?

2023/03/02 四国・その他・JR四国・イベント

写真:国道56号線沿いの看板 筆者撮影

2023年2月13日
漫画家の松本零士先生がお亡くなりになりました。

松本零士先生といえば、銀河鉄道999やキャプテンハーロック
そして宇宙戦艦ヤマトで知られています。

そんな日本の漫画・アニメ界に絶大な影響をもたらした松本零士先生ですが、
実は愛媛県とも深く関わりのある人物なのです。

両親は愛媛県大洲市出身で、戦時中は母方の実家である大洲市新谷に疎開していました。
母方の実家の前には、新南山(かんなんざん)がそびえ、その麓を蒸気機関車が走っていました。この風景が銀河鉄道999に影響を与えたようなのです。

そういった経緯もあり、新谷駅(にいやえき)は、『銀河鉄道999の始発駅』ということで、
実際に零士先生を招いて出発式が行われいていたりもします。

旧内子線と松本零士

写真:旧内子線廃線跡(愛媛県喜多郡内子町) 筆者撮影

もともと、新谷駅は愛媛鉄道の駅として1920年(大正9年)に開業しました。開業当初は軌間762mmの軽便鉄道でした。新谷駅の位置も、現在より200mほど内子寄りにあったようです。駅周辺には田んぼくらいしかなく、矢落川(やおちがわ)を挟んだ向こう側には新谷の集落が広がっていました。

予讃線の松山駅が開業したのは1927年(昭和2年)ですので、まだ直接鉄路で松山に行くことはできません。あくまで、地元のみで完結するローカル軽便鉄道でした。

そんな愛媛鉄道も1933年(昭和8年)に国有化され、国鉄内子線となります。そして、1935年(昭和10年)に海周り経由で松山とも鉄路で繋がります。軌間も1067mmの狭軌となりました。
零士先生が疎開されていたのは、まさにそんな時代の新谷です。

長らく田園風景の広がる駅周辺でしたが、
時が経つにれ、その様相も変化してゆくものです。
1980年代(昭和55年~)に入ると、駅周辺にも建物が多くなってきました。また、1983年(昭和58年)に駅の位置が大洲側に200mほど移転したため零士先生が疎開していた当時とは駅の位置は異なります。

内子線の性質も大きく変わりました。
予讃線の短絡ルートの開業です。

予讃線(当時は予讃本線)は松山以南に関しては建設のしやすさから海周りで伸びてきた経緯がありました。しかし、海岸沿いをくねくねと進むため線形が悪く速度が出せません。ということで、悲願であった山を抜けるルートが建設されることとなったのです。

これにより、盲腸線だった内子線は、高松~松山~大洲~宇和島を結ぶ動脈ルートとして機能するようになりました。

短絡ルート開業に伴い内子線の線形改良が行われました。
そうして生まれた廃線区間が旧内子線の廃線跡です。

現在でも、一部線路が残っており、おそらく零士先生が疎開されていた当時とそう変わっていない風景が残っている筈です。

現在の新谷駅

写真:現在の新谷駅側からの風景(愛媛県大洲市新谷) 筆者撮影

新谷駅は1983年(昭和58年)に現在の場所に移転しました。
普通列車のみが停車します。
2面2線の相対式ホームを有していますが、Y字分岐器のため進入速度が60km/hに制限されており、特急宇和海もゆっくりと通過してゆきます。
上り下りともに、写真奥に見えている和田踏切から狭い通路を通りホームに向かいます。旧新谷駅は和田踏切の向こう側にありました。

大洲市新谷公民館

写真:大洲市新谷公民館  筆者撮影

新谷駅から矢落川の方に向かい100mほど歩いていると、左側に茶色の建物が見えてきます。大洲市新谷公民館(大洲市農村環境改善センター)です。
この新谷公民館には松本零士先生も訪問されたことがあり、公民館内には沢山の展示物があります。また、公民館の前にはメーテルの描かれたモニュメントや看板が設置されています。
玄関には鉄郎とメーテルの顔はめパネルも設置されていました。

銀河鉄道999始発駅新谷

写真:999誕生の秘密  筆者撮影

疎開していた少年時代の零士先生は、地元の子供たちと川で鰻(うなぎ)を取ったり昆虫採集に出かけたりと結構楽しんでいたようです。
その頃の思い出は、のちの作品に深く影響を与えたようで、『松本零士自伝 昆虫国 漂流記』という漫画には新谷での生活が描かれています。
銀河鉄道999も、新谷でみた旧内子線で蒸気機関車の走る風景が影響しているようです。実は、この疎開時代に遊んでいた『タクちゃん』が鉄郎のモデルとなったそうです。
(タクちゃんとはのちに再会されており1982年に大洲に帰ってきた時にサインも渡されているようです)
『松本零士自伝 昆虫国 漂流記』にも『タクちゃん』が登場しています。

メーテルのモニュメント除幕式

写真:公民館の看板  筆者撮影

2017年(平成29年)に新谷公民館前にモニュメントが設置された時の様子が看板に掲載されています。松本零士先生も除幕式に参加されました。

友夢永遠

写真:石碑  筆者撮影

公民館の入り口には、こんな石碑も設置されていました。
読み方は不明ですが『友夢永遠』と書かれています。
「片道でもいいから俺を宇宙に行かせてくれ」という名言もある通り、零士先生は宇宙への憧れがとても強かったことで知られています。

もともと父親が戦闘機のパイロットであり、空を飛び回りたいという思いが次第に宇宙に行きたいという思いに繋がったのでしょうか。

充実の展示物

写真:公民館内の展示物 筆者撮影

表だけでも十分見応えがあるのですが、公民館の中は更に見応えがありました。正直、実際に行くまではこんなに展示物があるとは思ってもみませんでした。せいぜい写真やポスターが数枚ある程度だと。
部屋中に松本零士先生ゆかりの展示物がいっぱいです。

何かのイベントで使われたのでしょうか。『C62 48』の大きなハンドメイドな模型? も展示してあります。なかなかの出来栄えで、かなり存在感がありました。

C62は実際に走っていた蒸気機関車の形式で、戦後1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて49両が製造されました。
原作漫画や劇場版では実機として存在する『C62 48』が登場し、アニメ版では実機として存在した49の次ということで『C62 50』が登場します。

ちなみに999号は1年に1往復しかしません。
なぜ999号が昔の蒸気機関車をイメージした車両なのかというとメーテル曰く「二度と帰れないお客の為にはこんな演出も必要なのよ」とのことです。※アニメ第1話より引用

メーテルと鉄郎

写真:壁にかかるメーテルの絵 筆者撮影

奥の壁には、こちらを見つめるメーテルの絵が飾られています。

鉄郎は機械の体がタダで手に入る星に行く為に、お母さんと吹雪の中メガロポリスに向かいます。メガロポリスステーションから1年に1便だけ出ている999号に乗るためです。

しかし、お母さんは人間狩りを楽しむ機械伯爵により撃たれてしまい、鉄郎も吹雪の中で意識を失います。それを救ったのはメーテルでした。メーテルは自分も一緒に行くことを条件に、鉄郎に無限期間有効の銀河鉄道のパスを渡します。※アニメ第1話
このあたりは、零士先生も影響を受けたと思われる宮沢賢治の童話『銀河鉄道の夜』に通ずるところがあります。『銀河鉄道の夜』でも主人公ジョバンニは本当の天上にも行ける特別な切符を持っていました。
また、憧れの親友カムパネルラと二人で客車に乗って旅をするというところも似ています。

ただ気になるのは、カムパネルラは亡くなっており銀河鉄道自体も亡くなった人を運ぶ列車として描かれている点です。
『銀河鉄道の夜』に馴染みのない方には、宮崎駿監督のジブリ映画『千と千尋の神隠し』に登場する海原電鉄(うなばらでんてつ)をイメージして頂くと分かりやすいと思います。

「二度と帰れないお客の為にはこんな演出も必要なのよ」※アニメ第1話より引用

しかし、ジョバンニは帰ってきました。鉄郎は……

メーテルとシーボルトの娘

写真:おイネとメーテル 筆者撮影

面白い絵が飾られていました。
髭を蓄えた外国人男性と、着物姿の女性が描かれています。
髭の男性は蘭学者シーボルトです。
着物の女性はその娘のイネです。

シーボルトについては、シーボルト事件で有名なので知っている方も多いと思います。
では、イネは? というと、実は日本初の女性産科医になった人物なのです。
1970年にはイネさんの半生を描いた『オランダおいね』というテレビドラマも
放送されていますので知っている世代の方もいるのではないでしょうか。

この絵の原画はもちろん零士先生ですが、なぜシーボルトとイネの絵を書いたのでしょうか。
実はシーボルトの孫娘がメーテルのモデルではないか? と云われているからです。
そして、この話題は愛媛や大洲、そして零士先生自体にも深く関わっていました。

シーボルトは、日本の地図などの需要な書物をオランダに持って帰ろうとしましたが、それが見つかり国外追放となります。これが所謂シーボルト事件です。※1828年(文政11年)
日本を追われたシーボルトは、娘イネを残してオランダに帰りました。
残されたイネを預かったのは、シーボルトが長崎で開いた鳴滝塾(なるたきじゅく)の塾生で門弟の二宮敬作(にのみや けいさく)です。二宮敬作は伊予国宇和郡、現在の愛媛県八幡浜市保内町出身でした。

二宮敬作は、シーボルト事件の余波で投獄された後、愛媛県に戻り、宇和郡卯之町(現在の西予市)で町医者を始めます。そしてイネを呼び寄せ医学の基礎を教えました。更に、二宮はイネを鳴滝塾生だった石井宗謙(いしい そうけん)につかせて産科を学ばせます。
この石井宗謙とイネの間にできた子供が高子(たかこ)でした。
ちなみに、二人は結婚しておらず一方的に石井が迫った結果できた子でした。

ここから、ようやく松本零士先生に話が近くなってきます。

イネは二宮のすすめで、村田 蔵六(むらた ぞうろく)からオランダ語を学んでいました。
同じく村田 蔵六からオランダ語を学んでいた三瀬 諸淵(みせ もろぶち)という人物がいます。
三瀬は大洲出身の医者でした。三瀬と結婚した人物が、イネの娘でありシーボルトから見ると孫娘になる高子(たかこ)でした。

なぜ、この高子がメーテルのモデルと云われているのか?
実は零士先生の母方の実家の隣がお寺で、そのお寺から近年になって高子の写真が出てきたのだそうです。その写真を見てあまりにメーテルに似ているので零士先生はびっくりしたそうです。

では、零士先生は疎開中に何らかの形でその写真を見てメーテルのモデルにしたのか? というと、そのあたりは微妙で、どうやら先祖が高子と関係があったらしく先祖から伝わる遺伝子が作動して書かせたのだと零士先生はインタビューに答えています。

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